福山市について

5分で分かる福山市のこと

我が町「福山市」は広島県の東部の位置し、瀬戸内海のちょうど真ん中にあります。

福山市の人口は約47万人。福山駅には新幹線もとまる。

その地理的環境から福山市は交通の要所であり、特に「鞆の浦」は古来より潮待ちの港として栄えました。

福山市の歴史

古代は福山市の中心部は干潟もしくは海であり、中世のころ、川の体積効果により徐々に陸地が増えていきました。

平安時代になると、最澄の静観寺(じょうかんじ)空海の医王寺(いおうじ)がそれぞれに鞆に建てられるなど、布教拠点となったんですね。重要な拠点であるがために南北朝時代には多くの戦に見舞われ、重要な文化財が失われてしまいました。

戦国時代には毛利の所領。関ヶ原の戦いを経て福島正則の所領、その後、福島正則から徳川家康の従兄弟である水野勝成がやってくることになります。

水野勝成がこの地を「福山」と名付け「福山藩」が成立。治水工事や干拓事業を積極的に行い、城下町や周辺地域が作られていきました。5代続いた水野氏の後は松平氏、阿部氏と続き、明治維新を迎えます。明治維新の廃藩置県により「福山藩」から「福山県」となり、県庁所在地は「福山町」に定められました。

その後、色々あって1916年に福山町から「福山市」になります。

戦後は「日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール)」の誘致に成功。その恩恵で開発が進み、人口が増えていきました。他にも「紳士服の青山」「福山通運」など福山に本社を置く大企業も意外と多いし、飲食店や美容院も多数存在します。

福山市の市民性、方言

そして現在に至るんじゃけど、大きな町の割には知名度が低い。これは福山市民が一番認識しとって、「何もないとは言わせない」という市のキャッチフレーズがすべてを物語ってますね。

広島県で広島市についで2番目に大きい市という認識はあっても、中国地方においても広島市、岡山市、倉敷市について4番目に人口の多い町というのはあまりしられておりません。

方言も一般的には「福山弁」と言われ、地域の「備後弁」を元に「広島弁」と「岡山弁」の色を残しつつも独自の方言になっております。また特筆すべきは「三河弁」の要素も含んでいるということ。

「ぼれうみゃー!(とてもおいしい)」のように「みゃー」が含まれる。これは福山藩初代藩主の水野勝成が徳川家康と従兄弟であり、三河との関わりがあったことに由来しております。ちなみに、愛知県岡崎市とは姉妹都市です。

要するに「福山弁」=「広島弁+岡山弁+名古屋弁」÷3という感じでしょうか?

さらにいえば僕の地元、鞆ならでは「鞆弁」なんてのもあります。古来より交易の中継地点として独自に栄えた名残があるんでしょうね。

福山の生活スタイル

完全なる車社会で、車なしでは福山では生活ができません。町中、郊外にも大小のショッピングモールがあり、生活するにはまったく困りません。そういった車社会、ショッピングモールの出現が駅前の衰退を招いているという現実もあります。

「地味な街」というイメージが強いかもしれませんが、気候は温暖、晴れの日が多く、台風は少ない。積雪もなく、地震もほとんどない。そして、意外と子育て支援が充実している。全体的にみると、とっても住みやすい町だと思います。

これからの福山市

中核都市、企業都市である福山市。歴史的価値のある鞆の浦。

「眠っている価値」は無数にあり、それらをうまく編集・発信することで、やり方次第、伝え方次第では今後おもしろい町になっていくことは間違いありません。

…と、思っとんは僕だけでしょうか??(笑)