こんにちは!チェックです(*^^)v
以前、このブログで鞆町内に設置された町名表記琺瑯(ほうろう)看板の
ことを書きました。
今日はその全15箇所をご紹介しましょう!
と、その前に森下博氏について触れておきましょう!
鞆町出身、鞆町が生んだ偉人の筆頭に挙げられるのが森下仁丹の創業者
であり、「広告王」とも称される森下博(もりした ひろし)氏。
森下氏について簡単に説明すると…
1869年(明治2年)、
鞆町、沼名前(ぬなくま)神社の宮司の長男として生まれる。
しかし、父は宮司を辞めて煙草の製造販売に転業。
それに伴い、9歳の頃学校を辞めさせられ、煙草商の見習い奉公に出される。
その後、大阪での丁稚奉公を経て、明治26年(1893年)に森下南洋堂を設立。
明治33年(1900年)梅毒薬「毒滅」で大々的な広告戦略を展開。
明治38年(1905年)に懐中薬「仁丹」を発売。
同時に、海外への販路拡大を行い大成功をおさめたんよね。
森下博氏は仁丹で得た莫大な利益を社会に還元し続け、
生まれ故郷でもある鞆町にも莫大な浄財を寄付。
また、鞆町の観光振興に伴う資金提供や、神社仏閣の修繕費用、
学校の基金の設立など鞆町にも多大なる貢献をした。
その功績により、鞆町議会において森下博翁像の建立が全会一致で可決。
町費にて沼名前神社境内に昭和13年(1938年)に建立されたんよね。
さらに、森下博氏は大々的な宣伝広告と社会還元事業を兼ねた町名表記の
琺瑯(ほうろう)看板の設置を全国の町に展開。
現在も戦前に設置された森下博氏の琺瑯(ほうろう)看板が
700か所以上残る京都においては、そのレトロな雰囲気が人気を呼び、
復活活動も行われとるんよ。
そういった経緯があり「仁丹を鞆のシンボルマークに」という想いから
鞆町内に「町名記名琺瑯看板」が設置されることになったんよね。
ということで、全15か所を一挙にご紹介していきましょう!
森下仁丹 町名表記琺瑯(ほうろう)看板全15箇所
①鞆中学校前
②備後国安国寺前
③沼名前(ぬなくま)神社前
④ささやき橋前
⑤鞆小学校前
⑥岡本家長屋門前
⑦鞆の津ミュージアム前
⑧小烏(こがらす)神社前
⑨桝屋清右衛門(ますやせいえもん)宅前
⑩鞆城跡入口
⑪常夜燈広場前
⑫太田家住宅前
⑬旧魚屋萬蔵宅前
⑭焚場(たでば)跡入口
⑮淀姫(よどひめ)神社前
あえて場所が特定しづらいように撮った写真もあります(笑)
鞆を散策する際にはこの琺瑯看板を見つけてみてぇね!
全部見つけることができるかな?
以上、チェックでした!
6月1日(日)の試合結果
広島 4-1 楽天
昨日の嫌な負け方を払拭するかのように、
バリさんが7回1失点の好投!
続く、中田はピンチを招くも0で抑え、最後は一岡。
初回はエルドレッドのタイムリー、5回は菊池、
そして6回はロサリオのツーラン。
昨日は0得点、そして二試合前のロッテ戦はホームランでの
得点と、実は長いイニング、タイムリーがなかったんよね。
初回は足を絡めた攻撃もできたし(走塁ミスはあったけど)
交流戦後半はカープらしい野球をやってほしいね!
ミコライオが1軍に戻ってきて、中継ぎ陣の負担が減ればええんじゃが。
変わりにロサリオが外国人登録枠の関係で2軍落ちるんは仕方ないか…。
移動日を挟んで、日ハムと2連戦。これで交流戦1巡するね。
ホームでソフトバンク、オリックスと4連戦。
4連敗したリベンジをせんとね!
明日も勝つど!
ほいじゃあ、また!
チェック社長(小川真平)
最新記事 by チェック社長(小川真平) (全て見る)
- 【不動産】あたりまえを教えます Q&A編 vol.1~住まいの購入する時のプロセス - 2024年11月23日
- 【ラーメン】福山市西新涯町の「中華料理 一貫楼」~半チャンしょうゆ豚骨ラーメン - 2024年11月22日
- 【空き家再生】空き家再生プロジェクト第7弾 vol.134~中学生の建築現場見学 - 2024年11月21日