チェック社長こと小川真平という人間(その2)

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こんにちは!チェック社長こと、サンモルトの小川真平です。

意外と好評なこのシリーズ。…っても、まだ(その1)だけですが(笑)

「へぇ~、そうなんじゃ!」

と思われるそうで。

あ、それとこうやってまとめていくと、自分の生い立ちが良くわかり、今の自分がどう形成されてきたかが分かる気がします。

ということで、今日は(その1)の続きをお話していきますね♪

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あ、この写真は七五三の時。

怪我が多かった小学生時代

小学生時代にフォーカスして話をすすめます。

そうそう、このタイトル通り、小学生の頃、怪我が多かった。小学生の6年間だけで3回縫ってる。1回目は小学2年生、自転車で転んで。2回目は小学4年生、夏休みに母方のじーちゃん家で逆立ちの練習中にガラスに突っ込んで。3回目は小学5年生、遠足先の岩場で転んで。

全部右足。親に心配かけた(たぶん)と思います。

実は僕、蹴るの左利き(手は右利き)。軸足だから?関係あるんじゃろうか?

飛び出してバイクにはねられたこともありました(笑)。決してヤンチャ坊主なわけではなかったのですが…。

ただ、体は丈夫で小学生にありがちな「冬の時期に誰が一番最後まで半袖でいるか」
と負けん気を出したり(笑)おそらく、小学生の時一度も学校を休んだことがなかったと記憶してます。丈夫な体に生んでくれた両親に感謝。

学校では学級委員長を2回経験しましたが、リーダータイプだったわけじゃなく、なんとなく、といった感じです。

学校以外では、3泊4日の集団生活(スキーやキャンプ)を体験させてもらえて、これも貴重な経験でした。

そして、よく卒業の時に書く将来の夢。

僕はこれがまったく書けなかった。だって、なりたいモノがなかったから。おそらく提出したのは僕が一番最後。

…え?何て書いたか?

「父親の後を継ぐ」と書いてありました(笑)

当の本人、そんな気があった分けでなく「書くことがなかったから仕方なく書いた」感じです。両親からは後を継ぐことは考えなくていい、と言われてました…。

青春ソングは光GENJIのパラダイス銀河(小学2年)

平凡な中学時代

中学校に入ると父親の影響(野球が好き)で野球部に入る事になります。

正直、野球が好きだったわけでもなくもちろん下手だったので、練習も嫌い、下手だから試合に出るのも嫌。ある意味、素直な子だったのでしょう(笑)そんな感じでも結局3年間続けます。

相変わらず勉強も嫌いで、唯一好きだったのが美術と音楽でした。

テストは暗記がモノをいう社会や理科がまぁ、まだマシなほうでした。興味がないとやる気も起きないし、上達もしない。将来の夢、なりたい職業もなかったですね。

青春ソングはtrfのBOY MEETS GIRL(中学2年)

まったく勉強しなかった高校時代

高校時代は野球しかしてませんでした(笑)

ここでも息子に野球をさせたいという父親の意向が強く働いた。いや、ほんま素直じゃたんじゃね(笑)

でも、厳しい運動部・チームでの集団生活は社会人になっても必ず生きてくるし、父親はこういった経験をさせたかったんかもしれません。

しかし、相変わらず野球は下手だったし、何度か辞めようかと思ったけど、これが不思議と3年間(正式には夏までの2年半)続いた。途中で辞めたり、投げ出したりするのがかっこ悪いと思ってましたね。

でも、この時の忍耐力は今でも確実に生きてると思う。

勉強はほとんどしなかった。授業も半分くらいは寝てた気がする。

3年の夏が終わり、勉強を始めるも時すでに遅し!1年間の浪人を余儀なくされたのでした…。

青春ソングはGLAYのSOUL LOVE(高校3年)

あ、そうそう。野球部だったので高校は坊主でした。

…え?見てみたい?

続きはまだ次回!(笑)

チェック社長こと小川真平という人間(その2)

以上、チェックでした。

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チェック社長(小川真平)

代表取締役株式会社サンモルト
1981年、広島県福山市鞆町生まれ。地元を中心にプロパンガスの販売、住宅リフォーム、ペレットストーブの販売を行う傍ら、地元を元気にする活動を展開中。毎月第4日曜日に鞆町の沼名前神社で開催しているとも・潮待ち軽トラ市(鞆の採れたて朝市)。「火育マイスター」として、火を通じて子ども達のココロと生きる力を育む火育活動。住宅リフォーム大学の講師。鞆町の空き家再生プロジェクト。福山南部の未来を創る会所属。これらの活動を通じて地域から日本を元気にする。

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