チェック社長こと小川真平という人間(その3)

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こんにちは!チェック社長こと、サンモルトの小川真平です。

さて、さっそくお届けしていきましょう!

(その1) (その2)はこちらこらどうぞ!

…え?例の写真はって?良く覚えてましたね(笑)。外部に発信するのは初めてです。

IMG_0127

高校の卒業アルバムより。…なんか不機嫌だな(笑)

浪人した1年間

1999年4月。生涯で一番勉強した時期です(笑)(正確には費やした時間が)その甲斐あって、大学に行けることになりました。ここは面白みがないので、サラっと。

人類が滅亡しなかった、あの年です。

青春ソングはDragon AshのGrateful Days

福島県郡山市での4年間

2000年4月。建築学科で唯一受かったのが、日本大学工学部。なんとキャンパスは福島県郡山市にある。

最初は奈良かと思ってました(笑)(大和郡山)

大学進学に対しても特に希望のなかった僕は(おそらく)両親の薦めで建築学科を専攻。

“ものづくりが好き”という原点は変わっておらず、住宅模型作りに没頭し、朝を迎えることもしばしばありました。

郡山という街は福山に似ていて、芦田川の変わりに阿武隈川が流れ街の規模も福山を一回り小さくした感じです。

4年間下宿で凄し、食べるには困りませんでした。下宿のおばちゃんにはとってもお世話になった。(たまには会いにいかんとね!)

大学3年生の時に研修旅行で3週間ヨーロッパ(イタリア、ドイツ、フランス、イギリス)に行ったことは貴重な体験じゃったね。

卒業論文は「探索歩行」について。人がどこを見ているかが分かる「アイマークレコーダー」なるものを使って、街を歩くときに人はどんなところを注視して歩いてるか、その時の脳波は?なんてことを研究しました。

田舎町だったけど、自然が豊かで、いわきの方にいけば海がある、会津の方にいけば山がある。

大学4年間は好きなことをして、本当に楽しかったなぁ♪

そして、やりたい事のないまま就職活動を迎えます。周りのみんなが就職活動をし始め、焦りだす。

ゼネコン、ハウスメーカー、設計事務所。みんなこぞってそのあたりを狙うので、僕も同じような会社を受けました。

30社くらい受けたじゃろうか?不採用、不採用の連続。ヤバい、ここでも浪人か…。

設計希望じゃったけど、まったく決まらず住宅関連ならなんでもいいと、営業職に切り替えて就活をしました。

この時、実家に戻るという選択肢はなく、なんとか土壇場の秋採用で拾ってもらい社会人としてデビューできることになった。

青春ソングはBUMP OF CHICKENの天体観測

神奈川県のリフォーム会社に就職

2004年4月。某ハウスメーカーのリフォーム会社に就職し、営業職に就きます。

某住宅メーカーの建物専門のリフォーム会社で、ルート営業が主だったのですが、人生最初の営業活動、”ピンポンを押す”のにめちゃくちゃ緊張した小心者です(笑)

遅くまで事務所にいる=仕事やってるという社風で、夜遅くまで仕事してました。

ノルマとはいかないまでも目標数字があり、憂鬱な日々を過ごしてました。

とにかく休み明けが嫌で嫌で。次の日仕事だと、寝るのが嫌でした(笑)(起きたら会社だから)

晩飯の時間は0時前後、そしてストレスもあったでしょう。社会人2年目くらいかな?
人生で最高に太った時期がありました。残念(幸いにも)ながらこの時の写真はありません(笑)

と、まぁ、いろいろありながらも仕事にもなれてきた社会人3年目。

2006年8月。僕の人生は分岐点を迎えます。

続きはまた次回。

チェック社長こと小川真平という人間(その4)

以上、チェックでした。

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チェック社長(小川真平)

代表取締役株式会社サンモルト
1981年、広島県福山市鞆町生まれ。地元を中心にプロパンガスの販売、住宅リフォーム、ペレットストーブの販売を行う傍ら、地元を元気にする活動を展開中。毎月第4日曜日に鞆町の沼名前神社で開催しているとも・潮待ち軽トラ市(鞆の採れたて朝市)。「火育マイスター」として、火を通じて子ども達のココロと生きる力を育む火育活動。住宅リフォーム大学の講師。鞆町の空き家再生プロジェクト。福山南部の未来を創る会所属。これらの活動を通じて地域から日本を元気にする。

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