こんにちは!チェック社長こと、サンモルトの小川真平です(*^^)v
今日は4月1日。新年度、新学期、新社会人など新たなスタートをきる方も多いのではないでしょうか?
この時期になると、社会人になった時のことを思いだします。僕が社会人になったのが2004年。な、な、なんと、あれから10年の月日が経ってます!今でも社会人デビューした時のことをハッキリと覚えてます。
さて、我がサンモルトは福山市鞆町にあります。(鞆=「とも」と読む)その鞆町の中でも「鞆鉄鋼団地」と呼ばれる工業団地の一角に事務所を構えてます。その「鞆鉄鋼団地」について2回に渡りお話していきますね!
今回は鞆の鉄鋼の起源。鞆鍛冶について触れていきましょう。
鞆鉄鋼業のはじまり
鍛冶の発祥と沿革
刀鍛冶に始まった鞆の鉄鋼。
戦争があるたびに、そのほとんどが武器の制作に携わっとったらしい。その歴史は今から700年前にさかのぼる。
1271年の蒙古襲来。いわゆる元寇(げんこう)の時から武器の制作していたことになります。その後、1600年(慶長5年)に福島正則が関ヶ原の戦いの武功により安芸(広島)と備後(鞆)の49万8千石に封ぜられ広島に入城する。
福島正則が入国すると既存の城郭を「鞆城」として整備をはじめる。(今の鞆の浦歴史民俗資料館がある高台)その城域はかなり広範囲に渡ったらしい。
この築城の時に必要な建築金物などは鞆鍛冶によって作られたとされています。ちなみに、鞆城は完成の前にそのでかさから家康の嫌疑がかかり、築城途中で廃城となった。
戦の終焉、平和と農具
戦がおさまり、平和になるにつれて武器の製造から農具(鋤や鎌)などの製造に転換。刀匠も刀鍛冶から農具鍛冶に転業していく。
船具類の生産
海運が主だった頃、瀬戸内海の中心部にある鞆の港は船で溢れ、船具の需要が生まれ、生産技術も上がっていった。
鍛冶職人はいつしか舟釘、錨などを制作し時代の流れと共にシャックル、ブロックなどの舶用品のほか、建築金物・建築用品の生産も増加していき、その種類も数も増やしていった。
山陽本線開通と軌条用品
明治23年、福山・尾道間で山陽本線が開通。こうした急速な陸運の発展により、海運は下火になる。また、鉄道の延長に伴い軌条用品(レールなど)の需要が活発化していく。
さらに、戦後の復興による道路整備の流れから伸鉄の需要が高まっていった。
時代の流れと共に神鉄は数を減らしていき、船舶用、建設用、橋梁用などの製品を作り続け
現在に至っています。
次回はどうやって現在の「鞆鉄鋼団地」に至ったかをお話していきますね。
色々調べると勉強になるし、何よりおもろい!
以上、チェックでした。
共に地元を元気にしよう!
チェック社長(小川真平)
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