こんにちは!チェックです。
第1回目にして意外と(?)好評なこのシリーズ「鞆で働く!」
さて、さっそく前回の続きを話していこうかいね。
まだ前編を読まれてない方はこちらから
鞆で働く!鯛亭の大将×チェック社長(前編)
28歳、1970年の日本万国博覧会への関わり
日本万国博覧会、いわゆる「大阪万博」。
大阪万博は1970年3月14日~9月13日まで
大阪府吹田市の千里丘陵(せんりきゅうりょう)で
開催された国際博覧会。
まぁ、説明せんでもみんな知っとるよね。
大将は開催日の1ヶ月前から会場に入っとったらしい。
当時大将は28歳。
オープン当初は季節柄、寒さもあり来場者が
あまりおらんかったみたいで、
こんなんで大丈夫かいな?と思ったらしいです。
4月に入り、暖かくなってくると徐々の来場者は増え、
家族連れも増え、5月には割れんばかりの来場になった。
そんな万博を大将は経験したんよね。
昭和54年、37歳の時に訪れた人生の転機
大阪で料理に携わっとった大将に転機が訪れる。
福山市鞆町にあるシーサイドホテルで
料理長として働く話が持ちかけられた。
今まで旅館には入ったことがあっても
ホテルの経験はなく、また、ホテルのような
大人数を相手に料理をするのは未経験。
勝手が全然違うため、2か月間考えたそうです。
迷い、考えた上で鞆のシーサイドホテルで
働くことを決意。大将は当時37歳。
昭和54年7月2日の出来事でした。
120人の宿泊客に対し、材料はゼロ!?
大阪から地元広島県へ。(大将の出身は三原市)
大将の師匠と共に福山は鞆の地に。
鞆の仙酔島(せんすいじま)には
ニュー錦水(きんすい)国際ホテルが、
鞆にはシーサイドホテルがあり
(当時と現在で経営が異なる)
師匠は錦水へ3人で、大将はシーサイドへ5名で
赴いたそうです。
着任初日。以前いた職人と交代となるんじゃけど、
「仕込みは全部終わってる。客を入れる状態にしてある」
と言って、そそくさと帰っていった。
しかし、調理場は一切見せてくれんかったらしい。
大将が昼食を終え、調理場に入ると唖然とする。
食材、調味料など、調理場にはなにもないのだ。
そう、前の職人が全部持って帰ってしまった。
昔はそういう職人が多かったらしい。
自分の仕事は他には一切見せん。
その日の宿泊客はなんと120人。
なにもない状態から料理を提供せんといけんかった。
当然、料理の提供時間は遅くなり、宿泊客からはクレームが入る。
ホテルからはなんとか間に合わせてくれと言われる。
もう、ひっちゃかめっちゃか。
だって何もないんじゃもんね!
初日のドタバタ。
しかし、初日のドタバタは続いていくのでした。
シーサイドホテルでの苦悩、そして独立、
若者へのメッセージは次回!
以上、チェックでした。
共に地元を元気にしよう!
チェック社長(小川真平)
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