こんにちは!チェック社長こと、サンモルトの小川真平です。
気づけばこのシリーズも4回目ですね~さっそく、続きを行きましょうか!
こちらは大学3年生の頃の写真。
人生の分岐点
「父さんが倒れたから帰ってきて!!」
母親からの電話は2006年8月初旬。お昼過ぎのことでした。
びっくりした。というか、意味が分からなかった。だって、数日前に普通に電話で話したばかりだったから。
僕はその日の仕事を片付け、地元福山に戻った。到着したのは19時頃。
駅には会社のスタッフが迎えて来てくれてて、そのまま病院に向かいました。父親は集中治療室に入っており、意識はなく、ただ寝ているだけの状態でした。
その2週間後、父親は亡くなった。
悲しんでる暇もなく、突きつけられたのは会社のこと。幸い、母親が会社に入っており、今後の会社について話し合った。
そこで僕に与えられた選択肢は2つ。
「会社に戻って後を継ぐか」
「神奈川に残るか」
正直、その時の自分の心境の変化はあまり覚えてない。
前回も述べたように、両親からは「会社を継いで」と言われたことはなかったけど、小川家の長男ということは自覚していたし、ゆくゆくは会社に戻って手伝うことになるんじゃろうな…とは思ってました。
ただ、それは32~33歳頃かな(まさに今の歳)。それまでは、まぁ、適当に生きよう。そんなことを思ってた。
僕は会社に戻って後を継ぐことを決意した。
後を継ぐ=社長(経営者)だ。
その時は、これが僕の運命、使命なんだと現実を受け入れた、いや、割り切った自分と母親を助けなければと思った自分が混在してました。
「やる」か「やらないか」の選択肢。
「やる」を選んだ僕でしたが、正直、その選択による重責について理解していなかった。
逆にいえば”知らなかった”からすんなり戻る決意ができたのかもしれません。
とはいえ、すんなり自分の置かれてる状況を理解できるほど、立派な人間ではありませんでした。
でも、やるしかなかった…。
25歳。夏の出来事でした。
2007年1月から株式会社サンモルトへ
株式会社サンモルトという会社は創業当時よりガス(プロパンガスや工業用のガスなど)を扱っており、それに加えて住宅リフォームを行っている会社です。
前の会社の引き継ぎを終えると、ガスのことがまったく分からなかったので、懇意にしてた別のガス会社にお世話になり3か月間の研修。その後、2007年1月よりサンモルトに戻り仕事を始めます。
社長の息子が急に会社に戻り、社長就任。下っ端のサラリーマンがいきなり会社のトップへ。スタッフは全員僕より年上の方たち。
新米社長の行く末は…?
ということで、続きは次回。
以上、チェックでした。
チェック社長(小川真平)
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